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『易経講座』 安岡正篤著

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さて、久しぶりに「この1冊が効く!」のコーナーです。

コロナだなんだで外出がしにくいこのご時世ですから、こういう時は名作の本を読んだり映画を観たりする、そんな心豊かな時間を過ごすのが一番いいでしょう。

昨日、久しぶりにうちの母と話をしたら「人と会いづらいし、ゆっくり本読むしかないわねぇ。」とマリーアントワネットを彷彿させるようなことを言っていましたが、「呑気だなぁ」と微笑ましく思いながらも「たしかに、その通りだな!」と思いましたもんね。

人生はなるようにしかならないし、人は出来ることしか出来ませんから。

思い返せばうちの両親は、なかなかの読書家だったように思います。

両親の寝室にある大きな本棚には、たくさんの本がび~~~っしり詰まっていましたし、母もよく夜になると小説を読む時間を大切にしていました。

父はどちらかというと仕事関係の本を読む姿のイメージが強く、朝5時に起きて資格の勉強とかよくやっていました。

そんな両親から「勉強しなさい!」と言われたら、そりゃ反論の余地なくやるしかないですよ。

だって、その言葉を口にする本人がちゃんと勉強してるんですもん。

私の小学生のころの父の教育方針に「テストで100点以外は許さない」というものがあり、95点を取れば「ごめんなさい」と言い、90点を取った日には隠していた記憶があります。

一度、小学生4年か5年の理科のテスト(当時は直列回路・並列回路がま~~~~~ったく、それこそま~~~ったく分からなかった!)で、40点を取ってしまった時は腰砕けになりましたよ・・・。

「こ、こ、殺される・・・!」と膝をガクガク震わせながら超絶ビビった私は、40点のテスト用紙をランドセルの奥の奥に隠して(捨てるのはなんだか気が引けた)心臓をバクバクさせながら過ごしていました。

まぁいま思えば、「他の教科は見せてくるのに理科のテストだけ見せてこない」時点で隠していることなんてバレバレですが、当時10歳前後の私がそんなことまで頭が回るわけもなく、でも「理科のテストはどこだ。出しなさい。」とは言わず、最後の逃げ道だけは残してくれていたことに大人になってから気づきました。

そこまでやられると、逃げ道が無くなっちゃいますからね。完全なる白旗を上げるしかなくなっちゃいます。

そんな両親から育てられたにも関わらず、私が本を読み始めたのは大学2年生になってからのこと。

それまではハリーポッターを3巻くらい、あとは松井秀喜やイチローといったよくある伝記物をちょっと読んだくらいでしたからね~。

それが20歳のころに急に読書に目覚め、いろんなジャンルの本を読むようになりました。

・・・、あぁ、私の悪い癖です、また、横道に逸れてしまいました・・・。

はい、本題です。

今日ご紹介するのは、安岡正篤著の「易経講座」です。

この本、正直、身震いするほど面白かったです。

というのも私、今まではどちらかと言えば西洋の文化・思想を中心に取り入れており、東洋に文化・思想は触れる機会が相対的に少なかったように思います。

私に学びの楽しさを初めて教えてくれた数学という学問はモロ西洋で発展しましたし(とはいえ江戸時代にはかなり高度な数学が発達していたそうですが)、大学時代はプラトンやアリストテレス、デカルトやルソーやロックの西洋哲学に興味を持っていました。

音楽は洋楽ばかりを聴き、1人でポールマッカートニーやシンディ―ローパー、ベンフォールズの来日LIVEに行き、ビジネス書は欧米の最先端のマーッケッターが書いた本を読み・・・、あらいつの間にか西洋かぶれの日本人になっていたようです。

日本の自然は大好きだし(今でも牧場やイルカウォッチングが大好きです)、最近はぬか漬けや玄米を食すなど、日本の文化は大好きなのですよ。

しかしインプットする文化・思想は西洋のものばかりでした。

そんな私が、この安岡正篤先生の「易経講座」に出会ってからは、今までの分を全て取り返す勢いで東洋の思想や文化に触れています。

この安岡先生は、昭和の怪物岸信介や佐藤栄作など歴代総理の指南番としても活躍された方で歴史の表舞台にこそ名を見せませんが、日本を動かしていた大怪物と言えるでしょう。

たしかにこの人の本を読むと、頭の良さが常人とは頭5つくらい抜け出して違うことがハッキリと分かります。

そしてこの本の主題でもある「易経」とは、経営者が最後に辿りつく教えとも言われるそうですが、一言で言えば中国の偉人たちが何千年の時を経て紡いできた「道徳的な教え」とも言えるのでしょうか。

この中国の偉人たちが築き上げた教えも面白いんですが、安岡先生の解説、そして易経を学ぶ上での心構えの説法がこれまたとてつもなく面白い!

ちょっと引用してみましょうか。

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易を学ぶ心構え

先ず第一に易を学ぶ上で必要な心構えでありますが、それは小なる自我というものにとらわれず、活眼を開いて、この宇宙人生を通ずる大生命と申しますか、造化の消息と申しますか、そういうものを達観する。つまり眼を大きく開いてこの大宇宙、造化のハタラキに心を傾けると言う心構えが必要であります。

これを解り易い用語で申せば天であります。我々はこの偉大な天というものに眼を向けなければならない。自己の運命をはやく知りたいとか当てたいとかいうような、そんな小さなことを考えてはいけない。

しからば天とは何ぞやということになりますが、お話すれば天論だけでもいくらでもやれるわけで、したがって、そういうことも、話を追ってごく搔摘(かいつ)まんでやるほかはありません。まあ要するに現代の学問もこれを古代からの伝統的学問の基本用語で申せば、今日も変わらず天を研究していると言えるわけであります。

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まず、知能指数が高すぎることは文章を読めばすぐ伝わりますし、西洋的な理論的・批判的なものの見方ではなく、世の中を覆う大きな役割・法則を自分に問うこの姿勢に私は痺れたのです。

街を歩けば占い師が出店をし、朝のニュースでは血液型や星座占いが毎日流れる世の中ですが、当たる当たらないは別にして、人は誰しも「運命・宿命」を信じるものです。

私は男ですから「赤い糸で結ばれる」なんて言葉は考えもおよびませんが、たとえば自分にとって良いことがあると、「神様が自分のために動いてくれた」なんてことを感じる信心深さは持ち合わせているつもりです。

そして安岡先生から易経や陰陽五行理論、東洋医学、をかじった程度に学んでみて分かったことといえば、人は”意識せずに生活すれば”自分の知らないうちに世の中の法則に縛られて生きてしまうということ。

だからこそ、その法則を学び、対処することで自分の人生を宿命論的な考え方、つまりは人生はすでに決まっている・変えようがないと捉えるところから脱出しなければならない。

宿命論的な考え方ではなくあくまで立運、つまりは自分の人生を自分の力で切り拓いていくことこそが大事なんだということを安岡先生から教えてもらいました。

本当に易を深く学んだ方の、「姓名判断」や「生年月日判断」を受けると、いわゆる”あたり”ます。

易を基にした九星気学を使って私の生年月日を調べると、私の性格は恐ろしいほどにあたっています。

中国3000年の歴史は、本当に侮れませんよ。

しかしそれが当たっているからといって、自分の人生がその通り決まってしまうわけでは一切ありません。

その考え方こそが宿命論的な考え方であり、易を学ぶ意義が一切なくなると安岡先生もハッキリと断言されています。

それを知ったうえで、自分がどう動くか、どう運命を開いていくのか、これこそが大事になってくるわけなのです。

占いは本意ではありません。大事なのは自分自身です。

その占いが当たったからと言って、それが永遠に続くわけではありません。

自分の人生をもっと大切に生きようと、そう教えてくれた安岡先生に感謝して、一旦筆をおきたいとおもいます。

いつもの1.5倍ほど長い文章記事になってしまいましたが、ここまで読んで下さった希少な方々、ありがとうございます。

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